新陰流居合は、別名、新陰流抜刀勢法と言う。戦国時代に、剣聖上泉武蔵守信綱が創始し、新陰流兵法第2代柳生但馬守宗厳へと伝承した古流の実戦的な抜刀術である。
かつて、柳生宗厳は、高弟であった柳生家信、柳生宗矩、三好左衛門尉らに、新陰流の皆伝印可を許すと共に、上泉信綱直伝の新陰流居合を相伝した。
天正7年(1579年)に三好左衛門尉宛てに、天正15年(1587年)に柳生家信宛てに印可状を発行しており、初期の高弟の目録 には、『円太刀、向上 、極意 、人取手、居合分』等の内容が記載されている。
無刀取や捕手術の前身である人取手の他に、伝書の中に『居合』や『居相』の文字を確認する事が出来るが、『居合分』とは、『居合の分野』という意味で、その略語である。
また、新陰流居合は、古来より、居合の最大会派として有名な無双直伝英信流や夢想神伝流に大森流居合として採用され、今日まで自剛天眞流をはじめとする他流儀に大きな影響を与えてきた。
近年、制剛流居合を新陰流居合と称している会派もあるが、当会においては、剣聖上泉信綱が伝えた本来の新陰流居合が伝わっている。
上泉傳の新陰流居合の特徴は、前半と呼ばれる帯刀法を行い、二刀差しを想定した古式の竪納刀を用いて、潜在能力を爆発的に発揮する剣氣を込めた発声法を重視する。
熟練者の段階になると、無声でも自然に剣氣を発する事が次第に出来るようになり、基本刀法である十文字の抜き付けだけでなく、タイ捨流に見られるような手拳・手刀・蹴上げの当身を多用した組討の抜刀術や、多勢の敵に囲まれた際に、瞬時に回転して敵を斬り倒す荒々しくも洗練された抜刀技法も相伝される。
皆伝継承の際には、古式の作法に則り、誓紙血判を差し出した後、宗家より新陰流居合の免許皆伝巻が授けられる。
当会では、戦国の世を生き抜いてきた新陰流の妙技が今日まで正しく伝承されている。
居合極意『勝負は鞘の内にあり』